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2018/01/31 「国宝」のリスク管理

B.H

  見渡すと,気分の重くなる新年のスタートである。


  人間は,すぐそこに己の存在そのものを脅かす大変な危険が迫っていてもとんと気付かぬものである。見たいものしか見ようとせず,聞きたいものしか聞こうとしないのが人間であってみれば,当然の帰結ではある。それは民族や国という単位に広げて見ても,人間の集まりである以上変わるところはない。現実にきちんと対峙することを厭い,根拠もないのに,真面目に日々を送っていれば人生は悪いようにはならないだろう,とノー天気に日々を送る生き方は,いずこの国であれ大衆に共通ではあるが,我々日本人には,その傾向が相対的に強く,自らの責任で,明日を生き抜くために失ってはならない資産を守る危機管理意識は取りわけ乏しい。


  危険に脅かされているわが国の宝となる資産はたくさんある。その価値は失う側から量るのと,これを手にする側から量るのとでは,その評価値は何倍も違ってくることは珍しくない。今回は,そのような日本の優れた資産をいくつか挙げてみたい。以前,日本に帰化したイギリス人のCWニコルという人(私には自然科学者の印象が強い)が,NHKのラジオ深夜便のトークコーナーにゲスト出演し,述べていたことを私なりに解釈して引用する。


  ニコル氏は,自身の帰化の理由が3つあるとして,第1に日本には言論の自由があることだと言う。日本人は,言論の自由がないようなことを言う人がいるが,日本ほど何の制約,不安もなく自由に発言できる国はないと述べる。


  第2が宗教の自由というか,宗教からの自由があることだと言う。どんな宗教を選択するかという観点からの自由の保障があることはもちろん,最も凄いことは,何の宗教を信仰しなくても,およそ宗教に無関心であっても,いかなる非難も制裁も被ることがない,そういう自由が存在することであると言う。国によっては,宗教の自由を認める一方で,無宗教者を罰する国家も存在する。この宗教の自由の重みも,日本人は格別感じてはいないようであるが,一神教の国家,社会あるいは民族に生まれ育った人間からすると,およそ身体の中に存在しなかったことで,にわかには信じられないことであり,この自由の恵みは心の底からの開放と感じると述べていた。同じようなことを,かつて,再統一前の西ドイツのハンブルグ大学に奉職するドイツ人の哲学研究者からも直接聞いたことがある。


  そして,第3に,自然が豊かに存在することであるという。この点でも,ニコル氏は,日本には自然がないと卑下した自己評価を耳にすることがあるが,ヨーロッパには日本ほど自然が豊かに残っている国はないと言う。山には清らかな水が無尽蔵に湧き,里山があって,そこをちょっと山に入れば,イノシシ,鹿,熊(熊には感嘆の声を上げていた。),その他の動物が生息しているが,イギリスにそんなところはない。イギリスはかつて全土の森を伐採してしまっており,現在の森はその後に人工的に造り上げたものであると言う。


  日本民族は,日本列島という太平洋に面した絶海の孤島で,1万年を遥かに超える長い年月をかけてこのように優れて特長のある民族性,生存環境という国宝というべき資産を形成し,社会そして国として進化を遂げてきた。その大本となる原因を特定するのは困難であろうが,私は,我が祖先たちは,人間を自然界の支配者とおごらず,自分たちも自然の一部として森羅万象と折り合いをつけて生命の営みを織り紡いできた生き方が基層文化となってもたらした結果といえるように思う。ところが,このところ,そのような日本の誇るべき大切な資産の保持に対する侵奪の危機が加速的に迫っているように危惧される。近時のグローバル化を牽引する近隣覇権大国の急成長である。


  グローバル化は目新しい言葉ではないが,従来の社会,経済活動にとどまらず,近年,近隣の覇権大国が個人の自由を凍結し,国を一個の企業体と化して巨大な経済大国に急成長し,国際情勢の予期せぬ変動等も加わって,グローバル規模で政治,経済の頂点に立とうかという大国にのし上がろうとしている現象は,わが民族の最高資産である「個の自由」等にとってこれ以上ない脅威である。 


  元々グローバル化は,強者が利己的遺伝子の働きのままに弱者を淘汰していくという強者の生存活動を本体とする。そこに,上記資産を保有するおいしい日本をソフト(民族)及びハード(領土)併せて居抜きで支配下に置きたいと喉から手が出るほど欲している覇権大国に露骨に迫られる今,その餌食とならず,上記の大切な国宝資産を保持する独立主体としてしたたかに生き延びるにはどのような手立てがあるのだろうか。このようなあからさまな利己的な遺伝子の他者を顧みない生き残り合戦にあって,他国頼みは当てにならない。真否の見極めもつかぬ情報の洪水に翻弄されながらも,眼をつぶれば嫌な世界が消えていく的な平和な日々に安穏としているうちに,気が付けば居抜きで近隣覇権大国の支配下に置かれているかもしれないわが国の数十年後の姿を想像するとぞっとするし,その時代に生きることを強いられる後輩達に申し訳けが立たない。


  そのようなおぞましい将来の到来を阻止するのはもはや容易ではないが,そうだからといって,歴史を顧みれば,短兵急に武装に頼るのでは能なしの再現である。幸い,わが民族には,脈々と流れる自由の価値を知る高い民意度があり,これを基層に,今を生きている我々がそれぞれの立ち位置において,根本から意識改変をし,どのような国家体制を含めた生存環境を後世に残したいか,可能かを熟考し,事柄の軽重及び事実を見極め,少なくともこれらを見極めるべく日々の努力を重ね,その上で各人が引き受けている範囲についてはバランスの取れた行動を粘り実践していくしかないであろう。それで何かが保証されるものではないが,それ以外に,未来に希望の光を見いだすことはできないように思う。根拠の定かでないインターネットやマスコミ情報の洪水に溺れ,流されることなく,自らが責任を取るべき範囲のことについては,自分の頭で考え,行動することが必要であろう。


  新年を迎え,まずはこの1年,今の自分にできることは何かを改めて考え,これを果たしていこうと自戒している次第である。