2016/03/16 遺言の「メンテナンス」と「アフターケア」と「リフォーム」と
代表社員 弁護士 庄 司 克 也
1.A氏は妻と2名の子がおり,時価400億円の都内の自宅土地建物と預貯金400億円を有する資産家である。A氏は,公正証書遺言で,自宅を妻に,預貯金を子に各2分の1ずつ相続させる旨の遺言をした。ところが,遺言作成の数年後,自宅を売却して現金化し,その後しばらくして亡くなった。自宅売却代金に課税されたものの金融資産は750億円に達していた。さて,この場合,誰がいくらの財産を相続することになるか。
2.A氏死亡時の遺産は預貯金のみ750億円である。遺言によればこれを子が半分ずつ相続する。A氏死亡時には肝心の自宅がないから,妻は,遺言よって相続できるものは何もない。これが形式的な帰結のようである。
3.遺言は,一度作成しても,「いつでも,遺言の方式に従って」その遺言の全部又は一部を撤回することできる(民法第1022条)。「遺言の方式に従って」とは,自筆証書遺言や公正証書遺言を作成するときと同様の要式行為によるということである。
あるいは,新たな遺言をしたとき,そこに前遺言と抵触する部分があるときは,特に「前の遺言を撤回する」と明示されていなくても,抵触部分について,後の遺言により前の遺言を撤回したとみなされる(同第1023条第1項)。さらに,遺言後に,遺言者による財産の生前処分その他の法律行為が行われたとき,それが遺言の内容と抵触する場合には,その抵触部分について遺言は撤回されたとみなされる(同第1023条第2項)。抵触法律行為の代表例としては,遺贈の目的である物の譲渡や特定債権の弁済を受けること(当該債権は消滅する)等が挙げられる。前記A氏の自宅の売却はこれに該当する。つまり,本例で,妻が何も取得できないのは,正確には,A氏死亡時に自宅がないことが理由ではなく生前の自宅処分により妻に自宅を相続させるという遺言が撤回されたからということになろう。
4.さて,このままでは妻は遺留分しかもらえないが(総遺産の4分の1),何とかできないか。まず,A氏の自宅生前処分により撤回したものとみなされるのは,妻への「自宅を相続させる」遺言部分だけではなく,遺言全部だとみることはできないか。もしそうだとすれば,遺言無きものとなり,妻には法定相続分の2分の1が確保されることとなる。つまり,そもそもA氏の遺言は,実質的に妻に2分の1相当,子に各4分の1相当を相続させることを内容としており,それ自体,法定相続割合通りの公平と均衡が保たれていたものである。自宅売却で妻への相続させる遺言部分のみの効果が否定されるのでは,妻は0,子は各2分の1となり,本来A氏が考えていたバランスとは程遠い。従って,自宅を売却したA氏の意思は,遺言の一部の効力を否定するものでなく,全体としての遺言を撤回し,法定相続割合での相続とする意思であったと言えるのではないかということである。あるいはまた,A氏の意思は自宅の売却代金を依然として妻に相続させる意思ではなかったかと言えないか。つまり自宅の処分は,遺言の内容と抵触するものではないというわけである。もちろん,遺言後に妻と不仲になり,妻には何も相続させたくないという意思で,自宅を処分したという事情も十分にありうるが…。このように当初の遺言は趣旨明快で疑義のないものであったが,その後のA氏の行動により,一転,不明確なものとなってしまうのである。
5.近時,遺言が死後の相続紛争(いわゆる「争族」)を防止する有力な手立てと認識されるようになり作成が増加している。しかし,一度作成した後の「メンテナンス」も大切である。資産は日々年々増減し,あるいは形を変える。ある時点で公平な内容と考えて作成した遺言も,時の経過とともに内容が「経年劣化」することがある。資産状況だけでなく人的関係も変容する。遺言作成時には「この人こそは」と思って配分した者が案外頼りにならず,他にもっと財産を残してあげたい人が現れているかもしれない。「日々」は大げさとしても,一定の期間毎にメンテナンスを施さなくては,自分の遺志が実現されない恐れを生ずることになる。
6.これを相続する立場の者から見れば,「遺言が作成された」としても「安心するにはまだ早い」し「あきらめるのもまだ早い」ということである。自分にいかに有利な遺言を残してもらうか,それを「撤回させぬまま」いかに維持させいくか,はたまた自分に不利な遺言をいかに撤回して書き換えてもらうか…「争族」は生前にも連綿と続いているのであって,推定相続人等にとっては「アフターケア」や「リフォーム」が課題である。
7.先般「遺言控除」なる税制の創設が議論されているとの新聞報道があった。要旨「自民党(中略)は8日、遺言に基づいて遺産を相続すれば残された家族の相続税の負担を減らせる『遺言控除』の新設を要望する方針を固めた。遺言による遺産分割を促し、相続をめぐるトラブルを防ぐ狙いだ。」とのことで,有効な遺言による相続を条件に一定額を相続税の基礎控除額に上乗せすることが検討されているそうだ。2018年までの導入をめざすとのことである(日本経済新聞7月9日付朝刊等)。遺言を書き渋る老親にこれを迫り,あるいは不利な遺言を書き直させる良い口実がまた一つ…と積極的に評価すべきものであろう…か?。