弁護士法人 小野総合法律事務所 ONO SOGO LEGAL PROFESSION CORPORATION

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2014/08/15 求められる法学教育とは?

客員弁護士 26期 藤村 啓

  私は,現在都内の某法科大学院で実務家教員として民事法の教鞭をとっているが,法学教育の実情に驚いている。現在,大学の法学教育は,法学部とその上級に位置付けられる法科大学院の二重構造で営まれている。しかし,現状では,法学教育を,教養レベルに下げた感のある法学部と,一転して司法試験のための高度の受験教育を施す法科大学院とが,合理的に連動して法学教育を実施しているとは到底思われない。その影響であろうか,私が教える法科大学院では,非常に多くの学生が,法(条文)を解釈,適用する作業の意味,すなわち条文の定める要件,効果を理解し,その要件に該当する事実を紛争の中から抽出して当てはめ,紛争を解決する論証作業であることを理解していないし,身に付いてもいない。司法試験合格者の就職難等もあって,近年法科大学院のみならず法学部の入学者は激減しており,法学教育への社会の期待も希薄化しているのであろうか。


  そんな状況にあっても,教員達が自ら立ち上がれば,法学部の学生達が厳しい現実社会を生き抜いていく上で役立つ法学教育を施すことは十分可能である。翻って,法学教育の真髄は何かといえば,謙虚に事実(現実)に対峙し,事実を掴んだ上で自分の頭で考え判断することの重要性を得心させ,できればそれを実践できる論証技術力を身に付けさせることである。人間の生の営みの上では,公私いずれの場面であれ,事実(現実)を的確に把握し,それに基づいてバランスの取れた言動に出るようにとの要請は,洋の東西を問わず,責任ある者が従うべき正にグローバルスタンダードであろう。残念ながら,わが同胞は昔から何故かこの点に弱点を有することを否めず,それ故に極端な軸ブレを招来しては,壮大な無駄を繰り返して懲りることがないのである。今後の社会では,上記の教育を受けた学生が重宝されよう。


  そうは言っても,事案を解明し,コアとなる事実を掴み,これに基づいて採るべき方針を決する能力を身に付けることは至難である。抽象的な論理学の学習では限界がある。そこで,法学部生にとって,社会に出て役立つ法学教育として,事実に基づく論証技術の教育を受けることに価値が見いだせるのである。すなわち,社会において事実(現実)というものがいかに説得力を持つかという問題を認識させ,事実(現実)に基づく思考と行動の重要性を教え,これを活かすために,事実(現実)を把握するための論証技術を,法律基本科目だけでもよいので,彼らの等身大の日常的な事象を取り上げて繰り返し徹底して教育するのである。いわゆる言い負かす方式討論のディベート技術とは異なる,事実の把握のための論証技術の学習である。例えば,「学生Aは,学生Bから生活費に困窮しているので何とかならないかと持ち掛けられ,同情して1万円をBに交付した。1か月経ってもBから返済がないので,AがBに返済を求めたところ,あれはカンパしてもらったのだから返す義務はない,と拒絶された。どう考えるのか」というような平易な事案からでよい。それでも,これに正しく回答しようと検討する過程で,金の交付という事実に平素余り意識することのない経験則(人は理由もなく金品の贈与はしない)が存在し,これにより金の交付は特別のことがなければ貸金であるとの判断が成立するという事実の認定における基本かつ重要な法理(経験則を媒介とする三段論法)を理解し,これを自己の行動様式に組み込んでおくことを学ばせるのである。また,こうした考察の繰り返しにより,法律知識が増えるとともに,段々に複雑な事案に取り組むこともできるようになっていくのである。


  ところで,事実の重みは,みなさん日常の業務でよく認識しておられることと思う。例えば,判決,決定等の裁判官の判断が当事者及び社会の一般人を納得させ,受け容れられる場合を見てみると,その原因は裁判官の権威やその判断を表現する論理の形式上の精緻さなどによるのではない。それは,ひとえに裁判所の判断が事実を踏まえ,あるいは事案解明のために充実した審理をした上でのものであるかどうかによるのである。事実を踏まえない判決,あるいは事実に迫ろうとする努力を欠いた審理に基づく判決は,当事者や社会一般人を納得させることができず,そうした裁判が社会に受け容れられ,定着し,法規範になることはない。以上のことは,裁判が事実に対して法理を付与する作業であるからであるが,そのような裁判の論理構造が成り立つのも,事実自体に人を説得する力が内包されているからであろう。


  本題に戻ろう。事実を踏まえて物事を決するというのは法学教育の真髄である。法曹養成制度を論じるのであれば,改めて法学部の教育に目を転じ,地道であるが,事実に基づく判断の重要性及び事実の把握の訓練を法学教育として実践することを考えてもらいたい。やる気にさえなればさして難しいことではなく,何よりも事実(現実)に対する謙虚さが軽視され,バーチャルな事象を現実と混同して物事を決する上滑り傾向の目に付く昨今の社会情勢を見てみると,社会に巣立つ法学部生に存在価値を付与できる有益な教育となるのではなかろうか。