弁護士法人 小野総合法律事務所 ONO SOGO LEGAL PROFESSION CORPORATION

ブログBLOG

2015/02/16 龍馬

才谷某

  私は坂本龍馬が好きで、なかでも、弁護士という職業のせいか、「萬国公法」(国際法)についての次のエピソードが好きです。


  「龍馬の同士の檜垣清治という人が、腰に自慢の長い刀をさしていた。それを見た龍馬は『無用の長物。いざというとき役立つのはこれぜよ。』と自分の短い差料を見せた。檜垣はなるほどと思い、龍馬と同じ寸法の刀を手に入れ、後日そのことを龍馬に語ると、龍馬は『刀なんか時代遅れ。これからはこれぜよ。』とピストルを見せた。檜垣はなるほどと思い、苦労してピストルを手に入れ、三度目に龍馬に会うと、龍馬は『武器より、学問。これからはこれぜよ。』と萬国公法の本を見せた。」


  龍馬が志士として成熟していく過程をよく表しており、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にもでてくる有名なエピソードですが、残念ながら、後世の人物の創作であり、史実ではないと言われています。

  もっとも、龍馬が「萬国公法」という書籍を持っていたことは史実のようです。慶応3年(1866年)5月11日、龍馬は、秋山某(名前不詳)なる人物に宛て、萬国公法を入手してくれたことについて謝意を述べる内容の手紙を送っており、この手紙は茨城県大洗町の「幕末と明治の博物館」に現存しています。


  龍馬が萬国公法を入手したころ、龍馬は、海援隊の蒸気船いろは丸が紀州徳川家の蒸気船明光丸と衝突して沈められてしまうという海難事故(「いろは丸事件」)に遭い、紀州徳川家に対し損害の賠償を求めていました。龍馬は一戦交える覚悟で交渉に臨み、その結果、8万3500両もの高額の賠償金を認めさせることに成功しました。

  このように、いろは丸事件と萬国公法の入手時期が近いためか、龍馬が萬国公法を駆使して紀州徳川家を手玉に取り、交渉を有利に進めたというようなことが言われることがあります。

  しかし、これも残念ながら史実ではないようです。米国人宣教師マーティンにより漢語訳された『萬国公法』は、現在で言うところの国際公法に概ね当たる内容であり、私人間の海難事故の解決に役立つようなものではなかったからです。


  ところで、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』には、龍馬が紀州徳川家との交渉の前に萬国公法を勉強している様子が描かれています。私は、これは史実であると信じています。役に立たない法律だったからといって、勉強しなかったことにはなりませんよね?勉強したけれども、見当違いだった、それでよいではありませんか?私は、見当違いの法律を一生懸命勉強している龍馬の姿を思い浮かべると、あたかも自分の姿を見るようで、かえって龍馬のことを身近に感じるのです。