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2018/02/19 「この頃都に流行る物」

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  人間には肉体がある。肉体は永遠ではなく、いつかは滅び、命が尽きる。時間には限りがある。当然ながら、命が尽きれば、その人間自身が社会で活動することはできなくなるわけであり、そのため、人間は、自分の命数を指折り数えながら、死ぬまでの間に何ができるのかと思考する。自分が死んだ後の社会について自分自身は関与できないのであるから、普通は、死後の社会について真剣に思いをはせることはない。人生100年とすれば、20歳の若者は80年先までのことを思うが、90歳のお年寄りは10年先まで思いが至るかどうかということになる。

  人間には肉体があるため、欲望が生まれる。性欲、食欲、睡眠欲等。寝なければ身体がもたないので、1日のうちの少なからぬ時間眠ることになる。無尽蔵に活動することなどできない。食べなければ肉体を維持できないので、1日にそれなりの量の食べ物を食べる。食べることには快楽が伴い、美味しいものを食べたり飲んだりしたいと欲することになる。性欲も生理現象であり、いわずもがな、やむを得ない。

  人間には感情がある。負の感情が大きければ人生に満足を得られないため、正の感情を大きくしたいと望む。感情は、自分を脇に置いたときに正しいか正しくないかということとは無関係であり、往々にして、たとえ正しくないことであっても、感情が満たされることを優先させることになる。





  片や、人間には肉体があり命に限りがあるために、その命尽きるまで精一杯生きることになる、ともいえる。

  また、人間には肉体があるため、その肉体を維持するために経済活動を行い、金銭を生み出す、金銭が生まれるということは、(違法行為や純粋な投機行為によるのでなければ、)世の中に価値を提供しているということであり、社会を豊かにしている、ともいえる。欲望は、さらに金銭を生み出そうというインセンティブとなり、価値の増幅、社会の発展につながる、ともいえる。

  そして、感情は、時に、頭でっかちでは説明がつかない価値を人間と社会に与えることがある。効率性や合理性の追求が人間の活動の大半を占めるような世の中においては、なおさらである。





  経済活動やその他の社会的な活動は、人間が自らのために行っているもののはずだが、効率性や合理性の追求というのは、人間の限界や矛盾の克服、人や社会の革新、といえば通りがよいが、行き着く果ては、人間の否定、ということになりはしないだろうか。世界において人間が主である必然性はないといえばそれまでではあるが、果てまでは見たくはないと思う。