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2013/05/15 お墓

昨年、父が亡くなった。父は、最後まで、私の出身地でもある某地方の某県(要するに、首都圏ではない、首都圏に近いわけでもない、田舎)で暮らしており、私の母はまだそこで生活しているので、墓をどこにつくるかという、誰もが直面しうる問題に遭遇した。尤も、私は、ほとんど悩むことなく、私の自宅近くに墓をつくることにした。母親も、特段の抵抗もなく、納得、了解してくれた。自宅から車で10分もかからないので、思い立ったらあれこれと出かける準備をすることもなく、パッと行ってしまうことが可能な距離だ。この点に非常に満足しており、よかったと思っている。


私は、信仰心は希薄、いや皆無。●●の歌ではないが、そこに亡くなった方がいると思っていることなど全くないし、そもそも宗教に関心はない(どちらかというと嫌いな方かも知れない。)。先祖への感謝の気持ちですら、たぶん希薄な方だと思う(さすがに、皆無とは言わないが、不届き物と言われてしまいそうなレベルだろう・・・。)。そのためか、これまで、祖父母の墓参りに出かけることに、あまり気持ちが向かなかったように思う。もちろん、祖父母が嫌いだったとか、祖父母に感謝などしていないとか、そういうことではなく、なんとなく墓というものが好きになれなかった。


そんな自分が、お墓が近くてよかったとか、満足しているとか言っているのだから、なんだかおかしい。墓石を前にして自然に「父さん、来たよ」などと話しかけているのだから、ますますおかしくて、笑ってしまう。そんな私を見ているからなのか、父から見た孫、私の子どもたちも、同じように、墓石に話しかけたりしている。私がそういうことをするようになったのは、自分がつくった墓だからとか、父の墓だからとか、そういった要素が多分に影響しているのだとは思うが、“近いから満足”と言いながらも頻繁に墓参りに行くほどに人が変わってしまったわけでもない中途半端さに、更におかしさを感じてしまう。