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2025/08/26 世相の移ろい

BH

1 私は、長い間腰痛(腰部脊柱管狭窄症)に悩まされていたところ、昨年(令和6年)の暮れ頃から、患部発症の神経痛が極度に悪化し、100m歩くにも何度も立ち止まり、蹲って次の数十メートル歩行のために太ももを叩き、揉みほぐすなどしなければならない状態に陥ってしまった。投薬治療は疾うに限界を超えており、治療方法は手術しかないという医師の診断に従い、事件処理の都合がついた今年の2月末から2週間近くK大病院整形外科に入院して手術を受けた。

腰の手術は危険だという先入観が強く、一抹の不安を抱いていたので、術後麻酔から覚めると、まず手足の指を曲げ伸ばしして支障なく動くことを確認して安堵したものである。手術は成功し、堪え難かった神経の激痛は嘘のように消失し、何の支障もなく普通に歩けることがこの上もない喜びであった。

2 この闘病生活で学んだことに二つの印象的な事実がある。

一つは、医療技術の想像を超える驚くべき進歩である。私の受けた手術はMRIで腰椎骨内空間が見えないほど狭窄を来している骨内部を削り、神経を傷つけないように注意して骨内を広げるというもので、実は大変な手術である。過去には術中誤って神経を損傷し、車椅子生活になった事例を耳にしており、腰の手術はするものではないと思い込んでいたので、手術成功を導いてくれた日本の高度な医療技術を実感するとともに、医師や看護師等医療に携わる人たちの誠実な職務遂行と心温まる患者への配慮に感動したものである。

もう一つは、何気ない日常社会における日本人の弱者に対する無関心というか冷たさを実体験したことである。闘病中の通勤には、空いた時間帯の電車を選び、優先席を利用するように努めたが、空席がないと、吊革につかまり立ちするのは腰を伸ばせず苦痛なので、乗降口傍の支柱を両手でしっかり掴んで身体の安定を保とうとするのであるが、静止していても襲ってくる激痛のためにその姿勢を長くは保てず、ついズルズルと蹲るような姿勢になってしまう。しかし、そうしたみっともない姿態を晒していても席を譲ってもらえることはまずなく、配慮を受けたのは闘病期間を通じてせいぜい5,6回程度であった(そのうち外国人が3名)。座席の乗客に物乞いをする気はないが、つい目が合っても、無表情にスマホに専念されるなどして無視されるのが落ちであった。

 日本人は思いやりがあり優しく、それでいて芯の強い国民であると外国からの旅行者の感想がマスコミによりまことしやかに流されているのに接することがあるが、どこの日本人のことだろうと思ったものである。

3 このところ、地球上では、強者優先で人間の存在価値が二の次に追いやられ、時代錯誤も甚だしい狂気の帝国主義者、覇権主義者そして大国権力主義者の輩のやり放題で、弱小国はなすすべもなく翻弄されるままである。 そんな激烈な国際社会の中で、東洋の果てに位置する特異で不思議な小国日本は、世界最高レベルの医療技術を始め多くの分野で優れた技術を有する一方で、目先の利己的個人主義を生来とするかのような国民で運営されている世相の移ろいをみるとき、果たして生き延びていけるのだろうかと不安を覚える。その不安を一掃するための喫緊の必要にして十分な条件は何かを考えさせられた闘病生活であった。