2026/03/16 最後の三人乗り
電チャリパパ
先日、SNSで、欧米人の家族がこんなやり取りをする動画を見ました。
母親が、自宅のキッチンと思しき場所で、10歳くらいの息子に「あなたを抱っこさせてほしい」と言い、息子が理由を尋ねると、母親は「あなたが色々なことを初めてしたときのことはよく覚えている。だけど、最後に何かをしたときのことは全然覚えていない。だから、最後にあなたを抱っこしたときの思い出を作りたい」といった意味のことを答えます。
母親は、だいぶ長い間、息子を抱っこしていない様子で、「大丈夫?45キロくらいあるよ」と心配する息子に対し、「そんなにあるの?足を私の身体に巻き付けてよ」とたじろぎつつ、飛びついてきた息子をしっかりと、しかしかなり重そうな様子で抱き上げる、という動画でした。
これを見ていて、私も、確かに子供が初めて何かをした記憶はあっても、何かを最後にした記憶はないなと共感を覚えたのですが、そこで「そういえば」と思い出すことがありました。
ある週末の朝、長男をサッカーの練習会場(近所の小学校)に送った後、そのまま次男を公園に遊びに連れて行くことになり、電動アシスト付き自転車に二人を乗せて(つまり私を含めると三人乗り)、自宅を出発しようとしました。
いつものように、長男は後方の荷台の上の座席に座り、私は次男を抱き上げて、自転車の前カゴとサドルの間にある座席に座らせましたが、三人乗りをするのが久しぶりだったのか、気付かない間に、その前方の座席は次男の身体には小さくなっていました。
次男は、折り曲げた足が自転車のハンドルのバーに当たってしまうので、「狭い」と文句を言いましたが、サッカーの練習の開始時刻が迫っていたため、私は「すぐ着くから我慢して」と次男に言い、とりあえず自宅を出ました。
サッカーの練習がある日は、長男の準備が遅くなり、毎回、開始時刻のギリギリに練習会場に着くのですが、その日もやはり遅くなってしまい、私は、自転車を必死で漕ぎながら、ずっと「同じことを言わせるな」と腹立ちまぎれに長男を説教し続けました。
案の定、少し遅刻して目的地に到着すると、いつもはしばらく長男の練習を見ているのですが、頭にきていたその日の私は、「早く行きなさい」と言って長男を降ろし、次男を後方の座席に乗り換えさせて、さっさと公園に向けて出発してしまいました。
それ以降、前方の座席に次男を座らせることはなくなり、必然的に、三人乗りをすることもなくなりました。つまり、私が長男に腹を立てながら必死に自転車を漕ぎ、長男と次男がそんな私の様子を見て黙りこくっていたあの朝が、私たちにとって最後の三人乗りになってしまいました。
ただ、その最後の日までの間に、私と子供たちはそれこそ数え切れないほど三人乗りをして、色々なところに出かけました。次男、私、長男と並んで座りながら、大きな声で好き勝手にしゃべったり、でたらめな歌を一緒に歌ったり、どこに行くかでモメたりしました。一昨年の冬、長男のサッカーの試合から三人乗りをして帰る途中、チラホラと雪が降ってきたときには、「雪だ!」といって大騒ぎになりました。 あのサッカーの練習に遅刻をした朝、これが最後の三人乗りになると気付いていたら、あんなに腹を立てなかったのにと後悔するのですが、時間は元には戻ってくれません。そうであれば、いっそのことポジティブに考えて、珍しく「最後の記憶」が残ったことを、幸運に思うべきなのかもしれません。
