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2013/07/16 本質は猫?

猫のように自由になりたい人

最近,山本兼一の「命もいらず名もいらず」という小説を読み,思い出したことがあります。
それはある座禅会で,「南泉斬猫」という公案について聞いた時のことです。
「南泉斬猫」とは,記憶している限り,だいたい以下のような話です。

昔,南泉禅師という偉い坊さんがいた。
ある日,南泉禅師の僧堂の中に猫が迷い込んできた。そこで,南泉禅師の弟子の僧達は,猫に仏性はあるかなど,いろいろな議論を始めた。
そこに南泉禅師が現れ,その猫を捕まえて,弟子の僧達にこう言った。
「お前達。この猫について一言言ってみなさい。正しければこの猫は生かしておこう。正しい答えが言えないなら,この猫を斬り捨てよう。」
誰も答えられなかった。すると,南泉はその猫を斬ってしまった。
晩になって,昼間留守にしていた趙州和尚が帰ってきた。
南泉は昼の話を持ち出し,「お前ならどう答える」と聞いた。
すると趙州は,履いていたわらじを頭に載せて出て行った。
それを見て南泉は,「昼間趙州がいれば,私は猫を殺さずにすんだのに」と言った。

この公案について,わらじを頭に載せて無言で去っていくことにはちゃんとした意味があるという解説を聞いたのですが,かなり複雑で今はもう覚えていません。
ですが,私が聞いた解説のなかで,「本質は猫である」という部分はよく覚えています。
それは,「弟子の僧達は南泉が現れるまでは猫についてちゃんと話が出来ていたのに,南泉に「猫について一言言ってみなさい」といわれた途端,弟子の僧達は恰好良いことを言わなければならないとか,実際には猫を殺しはしないだろうとか,余計なことを考えて,結局誰も一言も発せなかったのではないか。本質は猫である。」という話でした。

ちょっとしたことで本質を見失い,うまいことを言おうとしたり,高をくくったりしてしまうことがある私にとっては,大変面白く,ためになる解説でした。本質は何なのか,見極められるよう精進したいと思います。