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2017/02/27 東京マラソン観戦に寄せて

B.H

  私は,毎年,東京マラソンを電気ビル前の晴海通り沿道からしばし観戦するのを楽しみとしてきている。ところで,今大会(2017年2月26日実施)は,走行コースが大幅に変更され,ゴールが台場から東京駅中央口前になり,それに伴って,最後の1キロメートルが仲通りとなった。そこで,ゴール前1キロの激しい競り合いの様子を目の前で見る楽しみができたのである。



  すなわち,コースの詳細は不知であるが,選手たちは,レースの後半,銀座中央通りを日本橋方面から新橋に向かって走り,4丁目交差点を右折して晴海通りを直進し,日比谷交差点を左折して増上寺方面に向かい,高輪で折り返し,再び日比谷交差点を今度は右折して晴海通りに入り,直ぐに左折して仲通りを東京駅へと目指すのである。晴海通りと仲通りの丁字路交差点の横断歩道から,仲通りの10メートルほどの所にゴールまで1キロメートルの標識が立てられており,仲通りはビクトリーロードとなったのである。



  さて,私は,先頭が仲通りに突入して来る頃合いを見計らって,上記横断歩道から10メートルくらいの電気ビル側の歩道端を占有し,ランナーの到着を待ち構えた。



  そして,待つことしばし,まず,車椅子選手の集団が飛び込んできた。しかし,晴海通りから仲通りに左折する導入路の角度が鋭角に過ぎ,相当なスピードである上に,何人もが競り合いながら侵入してくるので,危ないなと思っていたところ,男女入り混じって入ってきた4,5人くらいの選手達がどういう加減か大きく膨らんで走行し,曲がりきれずに,大外の女子選手(日本人)が車椅子ごと転倒しながら突き進み,私の足元の鉄製の歩道杭に頭部から激突してようやく停止した。ヘルメットがぶち当たるゴツッという鈍い音がして,一瞬大事故が起きたかと思った。ところが,その選手は,意識を失うこともなく,必至の形相で不自由な体を起こし,車椅子に乗り,再びレースに戻ったのである。その間,2,3分はかかったかと思うが,大事なく,無事のゴールを祈りながら,どんどん遠ざかっていく選手を見送った。



  それからしばらくして,主役のランナー達が突入してきた。目の前10メートルの交差点角に群がる観衆の陰から突然,世界最高記録保持者らのランナー達が仲通りに飛び込んでくるのであり,瞬間とはいえ,そのシーンは初めて味わう凄い迫力であった。先頭のケニア選手は2番手を大きく引き離して,あっという間に遠ざかって行った。次々とアフリカ勢が通過するが,日本人選手は中々現れず,随分遅れて,8番目で日本人先頭が頑張って走ってきた。10数人が通過する頃から,急速に緊張感が薄れ,芸能人トップの猫ひろしの通過を見て,沿道を離れた。テレビの画像からも感じるが,実際に目の前でアフリカ選手の体格,走りを見ると,日本人選手が勝つことは永遠に不可能であると確信させられるほどに,アフリカ選手の肉体は強く,美しく躍動していた。



  以上,第11回東京マラソン観戦記であるが,天候にも恵まれ,まことに天下泰平の世の平穏な一日であった。良い気分に包まれた帰りに,ふと立ち寄った本屋で,浅田次郎著の「黒書院の六兵衛」の文庫本(数年前の日本経済新聞の朝刊連載小説)が積み上げられているのに気付き,取り上げてパラパラとめくってみた。江戸城無血開城にかけた話で,六兵衛に化身した徳川ないし江戸という時代が明治というか欧米近代をエネルギーとする新時代に席を譲るように迫られながら,そしてその時が来ていることを感知しながら,なおも席を譲ってよいか,譲らねばならないものか,それを見定めるまでは譲れないと,己の生きた時代の舞台であった江戸場内に留まり続け,漸く,後の世代を受け容れ,納得し,後世を託して江戸城を立ち去っていくという物語である。すべからく歴史を紡ぐ作業の象徴的絵図を描き出してみせたものでもある。



  しかし,人間の社会において,この歴史を紡ぐ作業を誤ることなく処していくことがどれだけ難しいことであるか,無用の争いと犠牲を重ねて綴られる歴史が痛恨の叫びをもって教えてくれている。翻って,マラソン観戦を楽しんだ今日のこの平穏な日常が永続する保証などどこにもない。なのに,格別の根拠もなく,マラソン観戦を話題にして夕餉を囲み,明日も当然に今日の平穏が継続されると信じて一日を終えるのである。こうした誠に結構な日々を送る一方で,時代が,「先輩,お先に失礼します」と追い越して行くような感慨を抱くようになってみると,日本社会は時代のバトンパスを誤らずに行えているのであろうかという不安が腹の底で蠢くのを覚えるのである。