2022/04/28 涙もろくなった話など
父熊
この「雑記帳」でウォーズマン氏が「自分は泣くことができない。子供に関することでも泣いたことがない」と述べていたが、私は全く逆で、子供ができてからめっきり涙もろくなった。
最初に異変を感じたのは、長男が2歳位の頃、リトミック教室について行ったときである。授業の終わり際に先生が、「〇〇君(私の長男)は今月がお誕生日なので、皆でお祝いしてあげましょう」と言い、その場にいた子供達や親御さんから口々に「おめでとう」と言ってもらったとき、不意に涙腺の緩みを感じて自分でも驚いた。
ひょっとすると自分は精神的に疲れていたのかもしれないとも思ったが、今度は長男のプール教室の体験入学に行ったときに、それは起こった。長男が水着を付けて初めてプールサイドで準備体操をしたり、こわごわプールに入ったりしているところを見学スペースから見ていたら、自分でもなぜだか分からないのだが、目頭が熱くなったのである。
その後も意味不明な涙腺の弛緩は続き、ある夜などは、何とはなしに一人で子供の絵本を読んでいたら、泣きそうになった。50目前のおっさんが絵本を手にウルウルしている光景は、我ながら不気味としかいいようがないが、それに加えて、その時に読んだ「よるくま」は、客観的には、多分、泣けるような本ではない。それなのに、物語の終盤で、母熊がよるくまを寝かしつけるページから、次の「ああ、やっぱりそうなのね」というオチがつく最後のページを読んでいたら、なぜか涙が出てきたのである。
そういえば、「涙もろい」という話ではないのだが、自分の子供ができてからというもの、子供が事故や犯罪の被害者になるニュースを見ることができなくなった。
子供が死傷した交通事故や幼児虐待等のニュースがテレビで流れると、すかさずチャンネルを変えてしまう。若い頃は全くそんなことはなかったのだが、今は、そのようなニュースを見聞きすると、落ち着かない気持ちになって、思わず情報を遮断してしまう。
今度の戦争が始まり、子供に関する辛いニュースが流れることも多くなった。ある朝、何気なくテレビを見ていたら、1歳半の子供が砲弾で頭部を負傷し、病院の診療台の上に寝かされ、心臓マッサージを受ける様子だという映像が流れた。幼児特有のふくよかで、しかし生気を失いダランとした腕が、バネ仕掛けの人形か何かのように、電気ショックでビクビクとはね上がる様子は、同じ年頃の子供(次男)を持つ身には衝撃的で、その映像はしばらくまぶたに焼き付いて離れなかった。
1日も早い収束を念じるばかりである。