2016/03/23 紛争の終わり方
MMS31
1 民事紛争の解決は,当事者間で任意に実現できないと裁判手続に託される。しかし,裁判手続のうち判決は,訴訟物の存否に限局される判断であるので,当事者は手続も含めて不満を募らせることが少なくない。そこで,紛争全体に即応してバランスの取れた解決を協議する裁判上の和解が重宝される。和解は,当事者の任意の意思の合致による納得ずくの解決である点が重要であり,紛争の法形式上の終了にとどまらず,その後の当事者双方の生活や企業活動等の安定した営みを保証することにもなり,紛争の望ましい終わり方即ち解決となることが多いであろう。また,裁判官や弁護士ら法曹の紛争を見極める力量が意欲,技量ともに低下してきている近時の裁判環境の中では,和解の重要度は一層増している。
そのような和解であっても,出来不出来はある。それを左右する要因は,裁判官や代理人弁護士の技量や努力もあるが,何といっても当事者の器量いかんであることを経験則は教えている。庶民の日常生活の中で生じた事件から,このことを考えさせる例を2,3挙げてみることにする。皆さんは,どんな感想をお持ちになるだろうか。
2 燃えかす再燃事件
少壮の仏文学者A男とその妻B女との離婚訴訟(当時は地裁の管轄)が提起された。A男の代理人は学識,人格ともに優れたT弁護士であり,B女の代理人も地元では名の知れたM弁護士である。
さて,裁判は,A男とB女の激しい対立の中で難渋しながらも和解が成立し,紛争の再燃を危惧して和解調書に「双方代理人立会いの上で」荷物を引き渡すと明記し,裁判手続は終了した。ところが,それから1か月ばかりが経過した頃,T弁護士が担当裁判官に面会を求め,「実は,引渡しの日,最初から何か不穏な雰囲気が漂い,荷物の搬出等すべてがギクシャクと進んでいたのだが,冷蔵庫の中のバター,卵の所有をめぐって諍いが起こり,激情に駆られたB女がこれを次々に投げつけるという,大騒動に発展し,結局荷物の引渡しを完了できなかった。もはや私どもの手には負えないから,担当した裁判官であるあなたに任せるしかないので,もう一度,裁定をしてくれ」と申し出られたという。そこで,裁判官は,改めて当事者双方を呼び出し,代理人同席の上で,双方に闘争の弾丸となって消えた卵等の評価額を重々しく定め(〆て1万円程度であったとか。べらぼうに高いが,そんなことは問題にはならない。),その額を裁判官の預かりとし,併せて,卵等の所有権帰属をめぐる最後の紛争責任の負担割合を当事者双方均等と宣言した上で,これに基づき上記評価額を双方に配分し,これを双方相殺で処理することで事を収めるとの案を提示した。T及びM弁護士は,「裁判官がお預かりになったものをお分けになったんだから,頂戴し,相殺しようね」と口添えされ,A男及びB女は神妙な表情で,「お受けします」と応え,ここに先の和解成立時に残っていた紛争の燃えかすとして残っていたわだかまりは完全に消え去った。終わって,T先生は,ニンマリして,「ありがとう」と頭を下げられたそうである。
3 命の代弁貸金事件
旋盤等の器械部品を製造する町工場を経営しているA男は,同業者の保証人となっていたが,その同業者が倒産して夜逃げしたため,債権者の激しい取立てを一身に受ける事態に追い込まれ,瞬く間に返済資金に困窮し,消費者金融等質の良くない金融業者の下に融資を求めて出入りするようになった。その中には悪名高い金貸し業者がずらりと並んでいた。そうして,返済が不可能となったA男は,弁護士会の無料法律相談で担当した弁護士の指導の下に,多数の債権者相手に債務不存在確認の訴えを提起した。
担当した裁判官は,数回の弁論期日を経て,残債務額が数字上は合計1000万円近いこと,免責の抗弁には限界があることの心証を抱いたところで,事件を和解手続に付した。和解協議は紆余曲折したが,裁判官の強い訴訟指揮もあって,A男からのこれが精いっぱいであるとの提示額(総額で500万円余り)を債権者らも承諾するに至った。そして,A男がその和解金を全額振り込んだ上で,和解が成立した。その後,和解の席に残ったA男とその妻は,裁判官に対して,これで全部終わったんですねと確認し,ありがとうございましたと謝辞を述べ,安堵の表情で和解室を出て行ったという。
ところがである,上記裁判官は,その翌日の新聞に,郊外の山道脇で,A男とその妻及び2人の子ら(小5と小1の男児)が,内部から目張りをした軽自動車の中で全員一酸化炭素中毒により死亡しているのが発見されたとの記事を目にし,どうしてなんだと愕然とした。
その裁判官は,その後金銭の長期弁済和解が成立すると,気になる当事者に対しては,「払えなくなっても,死ぬなよ。生きていれば,何とでもなるから」と言って帰すそうである。
4 古女房の心意気事件
相続により都内に相当な不動産を所有し,その管理運営で結構な暮らしをしているA男は,しっかり者の妻B女に全部任せて,自らは遊興に勤しむ日々を送っていたが,治療に通う歯科医院の歯科衛生士C女と懇ろになり,衝動に駆られるままに,B女に「俺は家を出る!」と力強く宣言し,家の金庫から数百万円を持ち出し,C女と同棲するに至った。ところが,C女と一緒に暮らしてみると,しっかり者だが無口な古女房と何と違うことかと魅了されたはずのC女の歯切れのよい言動は,実は単に気が強く,わがままな性格の端的な表れであることが判明し,一気に熱が冷めてしまった。それで,A男は,1か月も経たずにC女の下から逃げ帰ったのであるが,今度はB女が頑として家に入れてくれない。持ち出した金も底をつき始めていたA男は,やむなく知り合いの不動産屋の周旋で安アパートの一室を借りて独り住まいをしてB女の宥恕を得られる日を待つ身となったところ,今度は,C女から婚約不履行(B女と離婚するから結婚してくれと愚かな約束をしていたようである。)を理由に1000万円の損害賠償請求訴訟を起こされる羽目となった。
第1回口頭弁論期日において,裁判官から直ちに和解が勧試され,A男は即座に応じ,C女も請求には理由が乏しいという裁判官の淡々とした説明にやむを得ず和解に応じることにした。ところが,A男には100万円という裁判官の勧試案に応じる手持金がなく,B女に援助を乞わなければならなくなったが,B女が応じるはずもなく,和解は暗礁に乗り上げた。
そこで,裁判官はB女に利害関係人として出頭を求めた。出頭したB女は,裁判官に対し,硬い表情で,あんな馬鹿な夫A男などどうなってもよい,私が手切れ金を工面してやるつもりは全くない,と取り付く島もない有様であった。そこで裁判官は,C女と違い,実にふくよかで,愛嬌のある女性のB女に対し,「廊下の椅子にC女が座っているから,ちょっと歩いて行って見てきなさい」と,視察に赴かせた。しばらくして,戻ってきたB女の顔を見て,裁判官は,「どう?勝ったでしょう?」と尋ねると,B女は,満更でもない顔で,「はい。気が済みました。」と答え,100万円を夫に融資してもよいと回答し,めでたくこの紛争は終了したという。