2024/02/15 自転車
Kの父
私の長男は、小学校に入るくらいの頃まで、補助輪付きの自転車に乗っていましたが、周りの友達は皆、既に補助輪なしの自転車に乗っていたため、親としてもこれ以上先送りはできないと思い、補助輪を外して自転車に乗れるよう練習させることにしました。
どうやって長男に練習させようかと考えながら、「自分はどうやって練習したかなあ」と思い出すと、小さい頃に住んでいた自宅前の道路で、母に自転車の後ろを支えてもらいながらペダルを漕ぎ、ある程度勢いがついたタイミングで母が手を放すという、古典的な手法で練習した記憶がよみがえりました。私はよく転び、手足を擦りむいたりして、「手を放すのが早い」とか何とか文句を言うのですが、母からは「体で覚えろ」「転びたくないならペダルを漕げ」というようなことを言い返されたように思います。
そんなことを思い出すと気が重くなり、もっと他の練習方法はないのかと思ってインターネットを検索すると、「緩やかな坂の上から、自転車に乗って、下まで降りることをひたすら繰り返す」ことによって、我が子が自転車に乗れるようになったという記事を見つけました。記事によれば、自転車に乗ることは要はバランスの問題で、自転車にまたがって何度も坂から降りることによって自然と必要な平衡感覚が身に付き、そのうち、坂から降りてきた勢いに乗って、子供自身がペダルを漕ぎだすということでした。その記事には、「転んで覚える」ような練習方法はナンセンスであり、子供に痛い思いをさせないように努めるのは親の責任である、というような説教じみたことまで書いてあり、そうか、私の母は無責任だったのかなどと思いつつも、とにかくその練習方法の簡単さに引かれて、試してみることにしました。
ちょうど、自宅から歩いて3分の公園の中に、近所の人から「築山(つきやま)」と呼ばれている、野球のピッチャーマウンドを少し高くしたような場所があり、その上で補助輪を外した自転車に長男を乗せ、足を地面から離して下まで降りることを何度かやらせてみました。すると、あまり運動神経の良くない長男でも簡単にできたのですが、この練習方法はとにかく単純かつ単調なので、長男がすぐに飽きてしまい、公園の遊具で遊び出すという致命的な欠陥があることが分かりました。
そこで、練習の内容を少し複雑にしてみようと思い、築山から降りてきた勢いがなくなり、長男が足を地面につけて自転車が止まった場所から、築山のふもとまで、例の古典的な練習方法で、私が自転車の後ろを支え、長男にペダルを漕がせるようにしました。それでも、長男はなかなか練習に集中せず、築山から3、4回も降りた後はすぐに遊具で遊び始めてしまうため、私が注意すると、「転ぶのが怖いからプロテクター(防具)が欲しい」と言うので(ちなみにヘルメットは着用していました。)、近所の自転車のアサヒで子供用のプロテクターのセット(900円ほど)を買うと、妻から「甘い」と怒られました。おまけに、長男は、当初はプロテクターを付けて嬉しそうに練習していたものの、やっぱり長続きせずに自転車ではなくブランコを漕ぎだすという、そんな調子で2、3か月が経ちました。
私は、本当に自転車に乗れるようになるんだろうかと憂鬱になりつつ、それでも週末の度に長男を公園に連れて行き、築山を降りたり上ったりを繰り返すうちに、練習方法にもう一工夫することを思いつきました。とはいっても大したことではなく、長男が自転車に乗って築山から降りるときに、それまで自転車の横でブラブラしていた両足を、ペダルの上に置かせるようにしたのです。そうすると、長男は、「足をペダルに置いて築山から降りる」→「私が後ろを支えてペダルを漕ぎながら築山まで戻る」を繰り返すことになり、私は、いつか、この二つの動作がつながって、一つになってくれないかなぁと期待しながら、ある日、長男が自転車にまたがって築山を降りていく様子を、いつものように上から見守っていました。
すると、築山から降りていった場所にあるベンチの前で、いつもはペダルから足を放して自転車を止めてしまう長男が、ペダルを踏んで自転車を漕ぎ、ベンチの前でゆっくりと向きを変えている様子が目に飛び込んできました。私は「やった!」と思って築山を走り降り、「そうそう!自転車を漕ぐってそういうことー!」と、我ながら間の抜けたことをわめきながら、蛇行する長男の自転車を夢中で追いかけました。 あの日、長男が、ヘルメットをかぶり、口を半開きにして、両頬を紅潮させ、ハンドルを持った手を小刻みに揺らしながら、フラフラと自転車を漕ぐ様子は、忘れがたい思い出になりました。そして、今から20年か30年か、あるいはそれ以上が経ち、私はもうこの世にいないかもしれませんが、長男が自分の子に自転車を教えることになって、「自分はどうやって練習したかなあ」と記憶をたどったとき、父親と一緒にあの築山を降りたり上ったりしたことを、わずかな残像だけでもいいので、思い出してくれたらいいなと思います。