2019/10/23 遥か昔の思い出
ボヤキの多い年寄り
今から遡ること数十年前、筆者がまだ大学の2年生の時の思い出話です。
部活動の先輩から紹介されて、衆議院議員選挙の応援アルバイトのために、ある地方に行きました。私にとって、選挙運動の応援アルバイトは初めてのことでしたし、それまで2週間以上も学校を休んで泊まり込みのアルバイトをした経験もありませんでした。
しかし、今から考えると、3食付き・宿泊所付きで比較的高額(?)なアルバイト代をもらえることが魅力的だったのでしょう。喜んで選挙事務所に出向きました。
現地で言われた仕事の内容は、午前8時から午後8時(?)まで選挙カーに乗り込んで、選挙区中を走り回って、候補者名を連呼し、ときには、同乗している候補者の指示に従って候補者の地元に対する利益誘導実績をマイクを通して告げて回るだけでした。まさに、長時間労働で肉体的にはくたくたになりながら、知的には何ら得るものはありませんでした。
アルバイト仲間は早稲田の4年生と信州大学の4年生の学生2名で、その他には候補者の関係する会社からの応援部隊(バスガイド数名、運転手数名)が一緒に仕事していました。
本業ともいうべきアルバイトからはこれといった得るものはありませんでしたが、アルバイトの学生2名や応援部隊の人たちとはその後も長い間付き合い続けており、時折、私の人生に変わった彩をあたえて楽しませてくれることがあります。
このアルバイトに関連して
1、 当該選挙の投票日(1963年11月22日)は、疲れて昼頃まで寝込んでいたところ、誰かに無理やり起こされて「ジョン・F・ケネデイーが暗殺された。今、テレビで宇宙中継をしているから見ろ」言われたことを、今でも鮮明に覚えている。
衝撃な事件であったが、日米中継のテレビ放送もその時が初めであった。
2、 これも投票日の夕方であったと思うが、「候補者は今回当選するかどうかわからない。万一落選したらすぐに警察が選挙違反の捜査に来るので、学生さんは早く逃げた方がよい」と言われて、アルバイト料だけを渡されて早々に宿泊所から追い出されてしまった。しかし、結果はトップ当選であった。後で、もしかしたらアルバイト学生を差配していた人物がアルバイト学生に事前に約束した「当選したら、○○温泉に連れていき芸者をあげて遊ばせてやる」という約束を反故にするための小細工であったのかもしれないと疑念を持ったものである。
3、候補者は、数年後に地盤を息子に譲って引退したが、息子さんは後々、総理大臣になった。
4、アルバイト期間中車で走り廻った地域はカラ松が紅葉して風光明媚な地域であったが、先の台風19号の豪雨によって大きな災害を与えってしまった。犠牲者に対して心からご冥福をお祈りするともに被害者の皆様にお見舞いを申しあげます。