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2014/04/16 選択の仕方

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1 以前,風呂上りに何気なくテレビのチャンネルを回していたところ,BS1でコロンビア大学(アメリカ)のシーナ・アイエンガー教授(女性,インド系米国人)の選択という行為をテーマにした授業を取り上げ放映しているのを偶然目にして釘付けになったことがある。その頃,勤務している法科大学院の学生達の余りの他者依存気質にうんざりし,授業方法の工夫に頭を悩ませていたこともあって興味を引かれたのである。


2 教授は,ハイスクール生時に視力を全失したということであったが,放映中,その卓越した頭脳の働きに驚嘆させられ通しであった。元来が優れた理数系の頭脳の持ち主であると思われるが,その上に視力喪失のハンディを背負ったことにより頭脳勝負で生きることを選び,強い意志の下に,倦まずたゆまず努力を重ね,己を鍛えた結果,驚異的な頭脳の働きの持ち主になったと窺われる。その上,テレビ画面に映る振舞いも魅力に溢れていた。

  さて,教授は「選択」をテーマにして研究者として成功したという。きっかけは聴き漏らしたが(何となくチャンネルを回していたら,この番組に出くわし,何となく興味をそそられて見ているうちにのめり込んだので,最初のうちは余り集中力がなく記憶していない),何でもジャムの研究が評価され研究者として認知されたそうである。

  人間は誰しも今日のように情報過多に置かれると選択が苦痛になるし,選択してもその結果に不満を残し,幸福感を感じない。選択は,それ自体目的ないしゴールではなく,人生の充実のための手段である。そうであれば,その選択を重要な行為として取り上げ,人生の充実に資するような法則性を見いだしてみようというのであったろうか。日常生活におけるありふれた事象に目を留め,そこに人間の公私にわたる幸せを導く法則を探求しようという着想,そしてそれを学問的研究の名に値するものとして創り上げる強い意志力と実行力に驚かされた。


3 それで,教授は,合理的な選択を行う基準として余り多くの対象を与えられると,人間の記憶力,集中力,判断力には限界がありこれらが正常に働かなくなり,そのために良い選択ができなくなると言う。

  そこで,教授は3つの指摘をする。1は,省くことである。少ない商品の方が売上げを向上させ,購買者は自分の選択に満足感を持てるとの報告がある。2は,分類である。分類は選択のための目印であり,選択の対象を省くことにより,選択の結論に自信を持ちたいニーズに合う。3は,複雑さを整理することである。この点のコメントは記憶にないが,2と裏腹のことであろうか。

  なお,アイスクリームの実験の話しは,このいずれで取り上げたか記憶にないが,興味あることなので,並列的に記載して紹介する。つまり,人のアイスクリームに対する嗜好は,バニラ,チョコ及びストローベリーで50%を超えるという。そこで,この3種類を含む6種類のアイスクリームを商品として販売した店と同じ3種を含み24種類を商品として販売した店を調べたところ,3種類の売上げで半分を超えるわけだから,仕入れコストを考えると,少ない方が効率的であることは明らかとなる,というわけである。


4 教授は,この日の授業の締めくくりに大変有益なことに触れた。ある社会学者が述べていることと前置きしていたように思うが,正確な表現は記憶になく,聞いていて理解したことは次のとおりである。すなわち,自由の意味は,自由に生きなければならない義務である,つまり自由に生きることを公権力は制約しないという自由な状態を指すのであり,満足すべき何らかの利益が自由の名で与えられるものではなく,選択し,努力すれば,利益を手にすることができるのであり,手に入れるための行動が自由であるというにすぎない,とでも言おうか。

  そう考えると,現代の若者は選択肢が多すぎて不幸だなんて指摘は全くのピント外れということになる。選択肢が多いことは幸せなのである。その幸せを手にするには,努力しなければならない。そのための自由がある。選択に迷う者は,良い選択を可能にする手順を考えればよい。その試行錯誤も自由であり,誰も妨げはしない。